2007年(平成19年)1月に古稀を迎えた。これを機会にして「自分史」を中核としながら、近況や将来の「プラン・夢」もあるので、その進捗状況にもふれたい。

食べ物・好き嫌い(6)

 就職後、商社員として外国駐在・海外出張他で40数カ国以上を訪れ、各々の「お国料理」を味わうことができた。海外では美味な食べ物も数多く、各国の食文化の多様さには驚いた。また悪食・珍味のたぐいも多く口にした。アジアでは「蛙のもも肉揚げ」「鳩の唐揚げ」「羊の脳みそ」や「狸汁」など。中国では「犬肉入り緬」「鶏足やへび入りスープ」「燕の巣スープ」「熊の掌」(少し硬いゼラチン状で鯨と豚の中間の味)などを食する機会もあった。


 本場の「上海蟹」も「キャビア」も勿論おいしいが、私は「和食」が大好き。皮肉にも好物和風の味から切り離される外国滞在が余りにも長すぎた。「好きで選んだ商社なら愚痴は言うまいコボスまい」。しかし、海外生活で心底恋しくなるのは、当たり前であるが日本食。定年後にヤット安堵し、こころゆくまで和食を味わっている。特に素材を味を生かす料理が最も好きである。 
未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | 2007/08/22(Wed) 16:30:34

食べ物・好き嫌い(5)

 昭和24年(1949年)春、新制柴島中学に入学。しかし校舎は狭く、1,2年生は東淡路小学校の教室を間借り。3年生になってようやく淀川縁の柴島中学校舎に移ることができた。
 同25年初夏に阪急線・豊津の「官舎」へ転居。その頃電車通学は珍しくチョット優越感があり、事実羨ましがるクラス仲間の多かった。一方、教育は教える側にも、まだ戸惑いがあったのか、ほぼ自由放任の傾向。中学3年間では、授業中こそ少し勉強はしたが、帰宅後は教科書はおろか鞄も開いた憶えがない。学校でも家でも「勉強せよ」と言われたことはなかった。この頃いつもお腹がペコペコ。あくまで優先順位は勉強ではなく「食べる」ことであった。


 洋食(水に溶いたメリケン粉にキャベツ混ぜて自分で焼く)屋を比べ「あの店は量も多いし、キャベツもおまけしてくれるよ」、或いは「売れ残りのコロッケはあそこが一番多いで」などと情報を熱心に交換して、仲間と優劣を競い合った。お金が足りないときは、友だちと1つのものを、実に慎重に分けた。あの頃の洋食やじゃがいもだけのコロッケのおいしさは格別。
未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | 2007/08/21(Tue) 22:31:10

食べ物・好き嫌い(4)

 母は戦中・戦争直後、食べ盛りの私と姉、それに父と祖父のため食料調達に非常に苦労し、自分の食べる分も私たちに与えていたようで体力を消耗。ある日学校から帰ると母は布団に入り寝ていた。そばで姉が泣いている。私の不審気な顔を見て、母は「死にたいと言ったので姉ちゃんが泣いてくれているの」と。結局、終戦の翌年、昭和22年6月、私が9歳のとき、「心不全」で突然に死去。35歳。遠足時に作ってくれた薄切りさつまいも焼き、油をひいたフライパンで炒って温かく柔らかにした「乾パン」や夕食前の「おこげおにぎりなどは、母の記憶と重なり忘れ難い味として思い出す。「乾パン」は今でもたべる。食べるたびにその味とともに疎開、父、母などが連想ゲームようにでてくる。


 父も母を亡くし、幼い2人の子供と祖父を抱え困ったので昭和22年春に再婚。継母の弟も同22年秋ごろに復員し同居。家族が増え一層食料不足の時期が続いた。父は逓信省(現郵政庁)勤めであったので、自宅近辺の特定郵便局長さんにお願いして、その方の土地を2ヶ所を借受けて、なすび、きゅうり、トマト、がぼちゃ、いも類などを栽培した。百姓の出である父は上手に作っていた。私も姉も手伝い行っては、きゅうりやトマトなどを、よく生でかじった。そのころはお腹を満たすことが先で味は忘れている。 
未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | 2007/08/20(Mon) 15:39:54

食べ物・好き嫌い(3)

 戦中戦後は、かぼちゃ、いも類が主食であり好きか嫌いかとは別。食べ飽きてこれらの食べ物はもうご辞退したい。食品が豊富になってからも、特に、憎っくきじゃがいも」「かぼちゃ」「さつまいも」は嫌いな時期が長く続いた。勿論、今では時折「肉じゃが」も「バターじゃが」も結構食べるようになっているが。が、かぼちゃといも類は今でも苦手である。
 終戦は集団疎開地、石川県・山代。昭和20年(1945年)9月には父に連れられて山代を離れた。が、大阪・都島の自宅も学校も焼失しており、東淀川区下新上の借家へ。そこで菅原小学校の3年生に転向編入。当時、食糧事情は極端に悪く給食はなし。たまに米軍放出の「粉末ミルク」のみ。この極端な不味さが今でもミルク好きになれない遠因か。
 配給のナンバ粉(とうもろこしの粉)やヤシ粉などで作るだんご類も砂糖ではなく、鋭い甘みを持つ化学薬品・サッカリンズルチンでの代用甘味の時代。一度、進駐軍の戦闘糧食か、携帯用食料箱(濃緑色の防水厚紙箱で、たばこ2カートン分程の大きさ)の配給があった。中味はチョコレート、ビスケットやガムなどの宝物が一杯。殆どは初めての品々。夢中で、でも大事に食べた。中でも、缶詰のコンビーフの舌に残る脂身味に仰天した。これらの食の味が初めての私の「アメリカ体験」であった。当時、世の中にはこんな美味しいものがあるのかと不思議な気持ちを持った。しかし、後年、何故かコンビーフは好きでなくなくなる。
未分類 | トラックバック(2) | コメント(0) | 2007/08/19(Sun) 21:27:18

食べ物・好き嫌い(2)

 昭和18年(1943年)春、大阪・都島国民学校に入学。1年、2年生では、午前中に警戒警報が鳴れば、給食のコッペパンを貰い直ちに急いで帰宅。このコッペは堅いが、いつも腹が空いていたのでうまかった憶えがある。
 山形の表面がこげ茶色に焼けた食パン、黄色いバターや薄ピンクの厚切りハムなどのおいしそうな「絵」が何かの絵本の裏表紙に実に写実的に描かれてあり、まさしく「絵に描いた餅」。当時はこれらの食べ物は、本物を見る機会さえなかった。
 3年生になった同20年4月に学童集団疎開。1年生は免除。2年生から5年生は石川県山代温泉へ。夜行列車で行くときは遠足気分であり、早朝まだ雪が少し残る山代へ着いた。宿泊は旅館。学校は確か山代国民学校に間借り。6年生のみは山中温泉のお寺へ分宿。6年生の姉は山中へ。
未分類 | トラックバック(0) | コメント(3) | 2007/08/18(Sat) 22:44:23
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